アンパンマンマーチ 戦地に行った弟のために歌った説

アンパンマンのマーチの色んな説

以前アンパンマンのマーチは色々な実は大人向けの歌だと思うという解説をしました。

このアンパンのマーチは色々な説がありますが、ネットでよく見かけるのは神風特攻隊になって戦地で命を落とした弟さんを思って作った曲という説があります。

今日はそれについて考えていきたいと思います。

特攻隊になった弟さんのため歌った説

まずは、その情報を知ったうえで歌詞をみてみましょう。

一部を抜粋していきます。

何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ!
今を生きることで 熱いこころ燃える
だから君は行くんだ微笑んで。

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも

時は はやく すぎる

光る星は 消える
だから 君は いくんだ
ほほえんで
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ どんな敵が あいてでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため

アンパンマンのマーチより引用

光る星 ⇒ 神風特攻隊

どんな敵があいてでも ⇒ 戦争の敵国

みんなの夢 ⇒ 日本国

なんだかそう考えると戦争の歌の様にも聞こえてきます。

実際に検証

なかなか、実際に関係者に取材というわけにはいかないので

やなせさん自身が書かれた

「ぼくはは戦争が大嫌い」

の内容から考察していきます。

弟さんは神風特攻隊になって戦地で亡くなった

ネットでよく見る文です。

ですが著書の中に

もともと弟さんは航空隊希望でしたが柳瀬家はみんな視力が悪く弟さんも試験に落ちたそうです。

結果、弟さんは海軍になり、輸送船で戦地に向かう際にフィリピン沖で攻撃を受けて戦死したそうです。

全然、特攻隊は関係ありませんでした。

そして、この本に決定的なことが書いてありました。

ぼくはそんなつもりはなかったのですが、「アンパンのマーチ」が弟に捧げらられたものと指摘する人もいます。p39(ぼくは戦争は大嫌いより引用)

ぼくは、そんなつもりがないとはっきり否定されているのです。

では、なぜそういった解釈が生まれてしまうのでしょうか?

ここからは僕の考察です。

それは、

・人間のドラマチック本能

・一次情報ではない情報

が原因だと思います。

ドラマチック本能とは、人は感情に左右され的確な数字をとらえられず、偏った考えに陥いり本来の姿を見失うこと状態です。

ぼくも
FACTFULNESS(ファクトフルネス) 

を読んだときにかなり偏った考えだったと思い知らされました。

世界の貧富の差は拡大していなかったり、男女の教育格差は思ったより少なかったりと思い込みによる偏りはあるな~と思いました。

それがこのアンパンマンのマーチにも似ているところがあり、人々は一つの物事をドラマチックに編集したいという本能が働いてしまっていたんだと思います。

なので、戦争で亡くなった弟さんのためという美化した話になったのだと思います。

もう一つが一次情報に触れていないということです。

一次情報に触れて、この「ぼくはそんなつもりはなかったのですが」この一文を読んだら、弟さんのために歌った歌ではないと誰もが思うはずです。

それが、二次情報、三次情報になって歪んだ形になり弟さんを思う歌と変化したのではないかと思います。

この説から学べることは

・正しい情報を仕入れて、自分で情報編集して考える力が重要だと感じました。

 

何かの役に立てれば幸いです。

最後までお読み頂きありがとうございます。

参考・引用文献

・アンパンマンのマーチ

ぼくは戦争は大きらい: やなせたかしの平和への思い (小学館クリエイティブ単行本)